フィロキセラや禁酒法時代を乗り越えたカリフォルニア。ここから怒濤の発展を遂げていくことになります。
最終回となる第三部では、カリフォルニアワインの発展と今をお伝えしていきましょう。
高品質ワインへの挑戦
禁酒法時代、数多くの酒類製造業者や関係者が廃業に追い込まれました。
その中でも一握りの生産者たちはこの時代を乗り越え、カリフォルニア大学デイヴィス校などと恊働。
カリフォルニアワイン業界全体は、高品質ワイン造りへとシフトし始めます。
数多くの生産者が新たなワイン造りのアプローチをスタートさせたり、フランスから著名な醸造家を招聘するなど、数多くの生産者がカリフォルニアワインの発展に向けて動きを見せ始めます。
さまざまな功労者
カリフォルニアワインの発展に寄与した人物は数多くいます。
フランスでのワイン醸造経験が豊かなアンドレ・チェリチェフを招聘したジョルジュ・ドゥ・ラトゥール。
さらに、1966年にナパ・ヴァレーのオークヴィル地区にワイナリーを設立したロバート・モンダヴィなどが有名です。
とくに、ロバート・モンダヴィはそれまで甘口が多かったソーヴィニヨン・ブランを辛口で樽熟成して造るという、フュメ・ブラン」を開発。
その後、かの有名な「シャトー・ムートン・ロートシルト」とのタッグで「オーパス・ワン」を生み出したり、イタリアの名門フレスコバルディ家とのジョイントベンチャーとして「ルーチェ」を設立するなど、斬新なコラボなども世界に影響を与えます。
また、「Vマドロン」もそうでしょう。
創設者のポーリン・テイリー夫妻やジョン・ホフリガーをはじめとした共同経営者たちの努力が注目されています、
しかし、今の「Vマドロン」のある場所はアメリカの先住民であるワッポー族が住む土地であり、1883年にオーガスト、フレデリカ・ハーシュ夫妻がナパのセント・ヘレナに土地を購入してワイナリーを建設していたのです。
その後、その後、醸造所やレストラン、宿屋、酒場などスタイルが変わり続けたものの、後の「Vマドロン」の創業者となるクリス・ティリーと妻であるポーリーンによってワイナリーが創設される歴史があります。
今、ジャン・ホフリガー氏を含む4人の共同オーナーがVマドロン・ヴィンヤードを購入し、ナパ最高峰のワインを生み出しています。
このように、数多くの功労者たちがカリフォルニアワイン発展に寄与してきたことが今のカリフォルニアワイン産業があります。
ナパをはじめ、カリフォルニアという土地に魅せられた。
そんな時代がカリフォルニアワインの品質を高めていったのです。
パリスの審判
高品質ワイン造りへの移行、ロバート・モンダヴィなどスター生産者の登場。禁酒法時廃止後、カリフォルニアワインは格段に品質を高めていきます。
そして、1976年。
カリフォルニアワインの名を世界に轟かす事件が起こりました。
それが、かの有名な「パリスの審判」です。
当時、“フランスワインこそが至高であり、フランスのみでしか高級ワインは生まれない”と信じられていました。
そんな中、世界初のワインスクール「アカデミー・デュ・ヴァン」の創設者であるスティーヴン・スパリュアとパリ在住のアメリカ人、パトリシア・ギャラガーが、フランス産の超一流ワインとカリフォルニアワインを赤・白ともにブラインドテイスティングするという企画を立ち上げます。
アメリカ建国200周年を記念したイベントという名目で、開催された同ブラインドテイスティング。
フランス側からは、ムルソーやバタール・モンラッシェ、ボーヌ・クロ・デ・ムーシュ、ムートン・ロートシルト、オー・ブリオンなどが登場。
赤・白ともにフランスが圧勝すると、誰もが信じてやまない状況であったことが理解できるでしょう。
しかし、このテイスティングで驚くべきことが起こるのです。
カリフォルニアワインの奇跡
明らかに分が悪い状況のカリフォルニアワイン。
さらに今イベントに参加したのは、オベール・ド・ヴィレーヌやピエール・ブレジュー、ジャン・クロード・ヴリナなどフランスワインの重鎮ばかり。
DRCの共同経営者、AOC委員会の首席審査官、「タイユヴァン」のオーナー、ボルドー2級格付けシャトージスクールのオーナーなどが審査員という、もはやフランス圧勝という結果が約束されたような状態でテイスティングが開催されました。
しかし、その結果は驚くべきに。
白ワイン
- 1位 シャトー・モンテレーナ 1973年(カリフォルニア)
- 2位 ムルソー・シャルム 1973年(フランス)
- 3位 シャローン・ヴィンヤード 1974年(カリフォルニア)
- 4位 スプリング・マウンテン 1973年(カリフォルニア)
- 5位 ボーヌ・クロ・デ・ムーシュ 1973年(フランス)
など、上位にカリフォルニアワインがランクイン。
赤ワイン
- 1位 スタッグス・リープ・ワイン・セラーズ 1973年(カリフォルニア)
- 2位 ムートン・ロートシルト 1970年(フランス)
- 3位 オー・ブリオン 1970年(フランス)
- 4位 モンローズ 1970年(フランス)
- 5位 リッジ・モンテ・ベロ 1971年(カリフォルニア)
と、なんとボルドー1級の赤ワインをカリフォルニアワインが超えてしまったのです。
フランスワインの権威にもかかわるこの結果。
この場を訪れていたタイム誌の記者ジョージ・テイバーがタイム誌やニューヨーク・タイムズ紙に包み隠さずその結果を寄稿。
その事実が世界中を駆け巡ることになり、ワイン業界全体に大きな衝撃を与えることとなったのです。
「パリスの審判」と呼ばれていることの事件。
カリフォルニアワインの品質が世界に知れることになるだけでなく、全世界のワイン地図が塗り替えられるきっかけともなったのです。
ちなみに、「パリスの審判」の審判から30年後にリターンマッチが開催されました。
リターンマッチについては別の記事で詳しく解説しますが、その時にTYワインがおすすめするワイナリー「ハイド・ヴィンヤード」。
同ワイナリーの、“シャルドネ”が第3位に輝いています。
第一回だけの奇跡ではなく、カリフォルニアワインの本当の実力をものがたるエピソードのひとつなのではないでしょうか。
2000年代以降のカリフォルニアワイン
カリフォルニアワインは品質が高い。
パリスの審判後、カリフォルニアワイン産業はさらに発展していきます。
そして、1990年後半。
ロバート・パーカーなど、ワイン評論家たちが影響を持ち始めます。とくにロバート・パーカーの影響力は凄まじく、各生産者が彼に認められるようなワイン造りを目指すようになっていきます。
アルコール度数が高く濃厚でボリューミーなワインを好んだロバート・パーカー。点数が売上げに直結することもあり、カリフォルニアワインの傾向はビッグな方向へ向いていくようになりました。
そしてこの頃から、カルトワインという言葉も生まれ始めます。
ハーラン・エステートやスクーリミング・イーグル、グレース・ファミリーなど、特別な顧客しか手に入れられないとか希少価値が異常に高いなど、1本数十万円以上するワインが人気を博します。
しかし、2000年代に入るとその傾向が少しずつ変化を迎えます。
ボリュームから繊細さへ
ビッグな傾向にあったカリフォルニアのワインスタイル。しかし、2000年代に入った頃からその傾向に変化が見え始めます。
料理に寄り添う、エレガントでバランスがとれた繊細なワイン。
要するにヨーロッパスタイルのワイン造りを目指す生産者が増加していったのです。
この現状を、ワイン・エディターのジョン・ボネは、2013年に著した「The New California WINE」の中でカリフォルニアの新潮流という言葉で表現。
この中で彼は、「カリフォルニアワインはパーカー前、パーカー後という歴史がある。今、カリフォルニアワインは第三世代に入っている」とも述べています。
醸造技術に頼るだけでなく、テロワールを大切にするエレガントなワイン造り。
今、カリフォルニアワインは新しい時代に突入しているのかもしれません。
進化し続けるカリフォルニアワイン
カリフォルニアワインの歴史を簡単にまとめていきました。
何もないところからブドウ栽培が始まったカリフォルニア。
さまざまなストーリーがあったからこそ、「新世界ワインの筆頭」という今の立場があるのではないでしょうか。
カリフォルニアワインは、今もなお進化中。
これからも目が離せない、魅力あふれたワイン産地なのです。